つぶやき

壁に向かってつぶやき続ける狂人の記録。18歳未満は閲覧禁止🔞

No.513

ハァッハアッ
終わらねえから進捗上げておくか



※デフォルトネーム:平井夏帆
Don’t you know②

チビで目つきの悪いそいつは自分の名前を坂木龍也だと言った。
確かに、チビは俺が子どもの頃の写真とそっくりの見た目をしている。そして、身体的特徴もおおむね一致していた。たとえばほくろの場所、昔鉄条網に引っかかって怪我したときの傷跡。それからチビの目を見ていると、鏡を見ているような不思議な感覚があった。そこには俺が毎朝鏡を見るたびに見つける光があった。俺を証明するもの。俺が定めた、俺で俺であるべきための決まりごとをその光は静かに伝えていた。

 いくつか、俺しか知らないはずのことを聞いてみたりもしたが返答はすべからく正しく、齟齬がなかった。

 頭がこんがらがってくる。一体どういうことなんだ。

「お前、どこから来たんだ」
「わからない」
「わからないってどういうことだよ」

なぜここに来たのかについて、何度か質問を変えて聞いてみたが「わからない」「覚えてない」と言う。段々とこちらもイライラしてきて語調が荒くなってしまう。

「思い出せ。ここにくる前は何してた」
「布団で、ひとりで寝た」
「その前は」
「風呂に入って、晩ごはんを食べた」

思わず舌打ちが漏れる。埒が開かない。

「うちに帰りたい」
「だから! そのために今いろいろお前に聞いてるんだろうが!」

チビは俯いたまま何も言わなくなってしまい、口をぎゅっと固く結んで、震えるように涙をこぼした。

「男が簡単に泣くな!」
「ちょっと! そんな風に怒らないであげてよ」

夏帆が俺からかばうようにチビを抱きしめると、チビはそのままくるりとこちらに背を向けて、すがるように夏帆の胸に顔を埋めた。こいつ……。

「おい、離れろ! 夏帆にくっつくな!」
「やめてあげてよ! 怖がってるでしょ!」

 言い返そうとしたがうまい言葉が浮かばず、俺はただ間抜けに口を開いたり閉じたりしてそこに突っ立っていた。
 夏帆はうまいことチビをなだめていた。そうしていると、まるで本当の母親のようだ。しかしそれを見ていると無性に腹が立って仕方ない。
 俺が口を開こうとすると、夏帆がこっちを睨み、何も言うなと目で訴えてきた。結局、俺はただため息をついて、煙草を持ってベランダへ出た。

 冬の冷たい空気に煙草の匂いがくっきりとして美味かった。頭がスッとクリアになる。すぐ下の車通りの少ない路地を、大学生らしき男の集団が馬鹿笑いしながら通り過ぎていった。

 自分がチビと同じ4.5歳の頃、母親はよく泣いていた。たぶん、乙女が生まれた少し後で、両親の仲が悪くなってきた時期だったと思う。

 あの頃は、夜中に両親の諍いの声で目が覚めることがたびたびあった。怒っているような、泣いているような声と、なだめるような静かな声。

 子どもだった俺には、父と母がなぜ言い争いをしているのか、その内容までは理解できなかった。けれど何か深刻なことが起こっているのだということは分かっていた。

 そのときのそのときの居心地の悪さやなんとなく霧がかかったような不安が、今でも胸の奥の方でわだかまっている。

 部屋に戻ると、チビは俺を見てふいと目を逸らした。

「……さっきは俺が悪かった。大声出して」

 ほら、と片手を差し出すとおずおずと小さな手が俺の手を握り返す。

 夏帆が雑煮を出すと、腹が減っていたのかパクパクと勢いよく食べた。誰も取りやしないのに、一生懸命に食べているのが何だか面白い。

「しかし、どうするかな……」

 こんな小さい子どもをひとりで外に放り出す訳にもいかない。普通の子どもだったら交番にでも連れていくが、今の状況ではそういう訳にもいくまい。

「今日はもう遅いし、お風呂に入って寝ちゃおうよ。もうそろそろ子どもは寝る時間でしょ?」

 時計を見ると、時刻はすでに20時を過ぎていた。

「じゃあお姉さんとお風呂入ろっか」
「は?」
「え?」
「……だめだ、俺が入れる」
「そう?」

 不審がる夏帆を有無を言わさず押し通して、風呂にチビを連れていった。小さな体。小さな手。……何ももかもが小さい。夏帆に見られなくてよかった。

 風呂から上がったあと、チビには俺が置いておいたスウェットを着せて裾や袖を折ってやった。
 髪の毛をドライヤーで乾かしている最中からチビはとても眠そうにしていて、ベッドに入って布団をかぶるとすぐに寝息を立て出した。

「すごく疲れてたみたい」

暗くした部屋の中で、俺たちはひそひそ声で話した。

「でも、どうする? これから」
「……」

そもそも、なぜこんなことになっているのだろう。呼吸によって上下する布団を見つめながら俺はため息をついた。

あらためて、今自分たちが置かれている状況の不可解さを再確認して、不思議な気持ちになる。

「とりあえず今日は寝よう。睡眠が足りてねえと碌な考えが浮かばない」
「寝て、起きたらいなくなってたりして」

実のところ俺自身もそれを期待していた。

だが、寝て起きても、相変わらず俺にそっくりのチビは布団で寝息を立てていた。

夏帆は土日にも7時に目覚まし時計が鳴るようにセットしている。そして俺は、もうすでに体に防大での生活が染み付いており、6時少し前になるとパチリと目が覚める。

目が覚めると夏帆もチビもよく眠っていた。カーテンの間から射した薄青い朝の光が、夏帆とチビの顔を照らしている。

あと少しで何かが思い出せそうなのに、掴めそうになった瞬間にさらりと視界から抜け出ていく。
俺はしばらくそれを眺めていたが、やはり何も思い出せなかった。

チビよりも先に夏帆が目を覚まし、彼女が身支度を整えている最中に、ふいに玄関のチャイムが鳴った。

夏帆がバタバタと対応し、すぐに神妙な顔で帰ってきた。

「ごめん。ちょっと30分か1時間くらいこの子と外に行っててくれない?」

見てみると、ドアの向こうには泣き腫らした目をした女がひとり立っていた。目が合うと、慌てたようにぺこりと頭を下げる。
最近、相談に乗っている後輩がいると言っていたからたぶん彼女がそうなのだろう。
雰囲気から察するに、何やら重い話をしに来たようだった。

元々ここは夏帆の家だ。俺は手早く身支度を整えると、チビとふたりで寒空の下へと出た。
街は閑散としている。俺たちは周りから親子のように見えているのか、たまにすれ違う人がいても俺たちに注意を払う者はいない。

「どっか行きたいところあるか?」

チビに聞いてみるが、首を横に振るだけだ。まあ、ここがどこかもよく分かっていないのだからどこに行きたいかなんて言えるはずもないか。

あてどもなくぶらぶらと歩いているうち、マンションや一戸建ての狭間にぽつんと公園があった。
都会の真ん中にあるにしては、それなりに大きい公園だ。ジャングルジムにブランコに、タコの形をした大きな滑り台がひとつ。
 暇を持て余していたらしい子どもたちがたくさんいて、子どもたちを囲むようにして保護者らしき大人が周りのベンチに座っている。

すべり台をすべったり、ブランコに乗ったチビの背中を押してやったりしたが、その間もチビはちらちらと他の子どもたちの方を見ていた。

「ちょっと遊んでくるか?」
「でも……」
「はっきり“入れて”って言ったらえいろう」

チビはしばしの間うつむいて考え込んでいたが、なにか決心したように頷いて、ジャングルジムの方へと駆けて行った。

俺は自販機で缶コーヒーを買って、ベンチに腰を下ろした。
先にベンチに座っていた高齢の女性が微笑みながら会釈をした。

「かわいいねえ。お子さん何歳?」
「あー……5歳です」

俺は心の中で恐らく、と付け加えた。

「いいわねえ。お父さんもお母さんも、あんなに可愛いお子さんがいて幸せね。うちの孫も5歳でねえ、可愛くて仕方ないのよ」
「はあ」
「孫を見てるとね、息子が小さかった頃のことを思い出すの。今思えばあの頃が一番幸せだったわ。当時はとにかく大変で、幸せを感じる余裕なんてなかったけれどね」

俺が黙っていても、その女性はひとりで話し続けた。

チビはいつの間にか周りにいた子どもたちと仲良くなったようで、笑い声を上げながら楽しそうに遊び回っている。風は冷たかったが陽射しは暖かく、子どもたちを照らしていた。

両親が見守ってくれていて、俺と乙女とで公園で遊んでいる、そんな光景が目に浮かぶ。乙女が小さい頃にうちの両親は離婚しているから、現実にはそんなことはなかったと思うが、それでも似たような時間が、昔もきっとあったのだと思う。
過ぎ去ってしまった時間は戻らないが、だからこそ美しく感じる。

「ごめん、今どこ?」

夏帆から電話がかかってきたのはそれから30分ほど後のことだった。

場所を伝えると、夏帆はすぐにやってきた。

「ほんとごめんね。ここで遊んでたんだ。楽しかった?」

チビは上気させた頬のまま頷いた。

「お腹すいた」

思わず俺と夏帆は吹き出した。

帰り道は三人で手を繋いで帰った。

その途中、この間初詣で行った神社の前を通ったとき、鋭い鳥の声がした。湯が沸いたやかんのような長く鋭い声。

「あれ」

チビが俺たちの手を振り解き、一点を指差す。
俺がそちらを見るのと、何か大きな白い影が飛び去っていくのとほぼ同時だった。

「でけえな。鷺か何かか?」

そう言ってチビの方を見たが、すでにあいつはいなくなっていた。ほんの一瞬の出来事だった。

「なんか、夢見てたみたいだよね」
「そうだな」

夏帆が買い置きしていた日本酒を開けた。

「いや……別に。手、繋ぎてえなって思って」

夏帆は驚いたように目を丸くして、それからまたいつもの顔で笑った。

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